匿名さん、まず初めに、2023年3月8日にご尊父様をお見送りされたこと、心よりお悔やみ申し上げます。
お父様がこの世を離れられてからの時間、きっと多くの想いと向き合ってこられたことと存じます。
「成仏しているのか?」「供養は意味を持つのか?」という問いには、祈りと責任、そして愛がにじんでいます。その深い慈しみに、私は静かに敬意を表します。
◎お盆の供養と成仏について
お盆は、日本では、先祖の霊がこの世に戻ってくると信じられ、灯籠を灯し、迎え火を焚き、家族が一緒に先祖の魂を迎え入れます。
けれど、その行事そのものが、魂を救うかというと、実はそう単純ではありません。
結論から申しますと、形式的な供養やお墓参りだけでは、魂を完全に癒すことはできません。
なぜなら、供養とは、魂と心を通わせる行為であり、対話と理解がなければ、本当の意味での浄化や解放は起こらないからです。
お盆の日というカレンダー上の決まりごとが本質ではないのです。
例えば、私がドイツに留学していたときのことです。
日本では、夏の盛り—8月にお盆という静かな時間が流れます。
先祖の霊が家族のもとへと帰ってくると信じられ、
提灯の灯りで道を照らし、お供えをして、心を合わせる。
まるで、霊たちと現世のあいだの扉が、ほんのひとときだけ開かれるような……
そんな、不思議で優しい空気に包まれる季節です。
けれど、ドイツにはそのような8月のお盆という文化はありません。
あの国の人々が、愛する者たちの魂に想いを馳せるのは、
深まる霧と冷たい風が森を包む、11月なのです。
── Allerheiligen(諸聖人の日):11月1日
天に召された聖なる魂たちに、感謝と敬愛を捧げる日。
教会では静かな祈りが響き、墓地には花が添えられます。
── Allerseelen(死者の日):11月2日
この日は、まだ“天国”に辿りついていない魂のための祈りの日。
誰にも知られず消えていったような命さえも、
誰かの祈りの光でやさしく照らされるのです。
── Totensonntag(死者の主日):11月の最終日曜日(2025年は11月23日)
この日は、教会で故人の名が読み上げられ、
家族は墓を訪れ、静かに語らいます。
それはまるで、時間を越えて魂と再び“逢う”ための、特別な午後のよう。
あるとき、ドイツ人と日本人のハーフの友人が
こんなふうに教えてくれました。
「俺は小さい頃から、いつ祈るかは問題じゃないって思ってた。
祈りの日時に意味はない。
それより、僕たちの心の中に灯る想いこそが、
魂にとっていちばんの贈り物なんだって。」
その言葉は、今でも私の胸に静かに残っています。
◎成仏と不成仏霊の違い
ご尊父様についてお伝えします。
すでに魂は、一定の浄化と昇華を経て、安らぎの場に移行されているようです。
あなたの心からの祈りが、その道のりを後押ししてきたことは間違いありません。
ただし、すべてのご先祖様が同じように光の世界に帰還しているかというと、そうではありません。
特に、お母様側のご先祖様の中に、成仏しきれずにとどまっている魂(不成仏霊)が複数存在している気配があります。
その多くは、生前に思いや感情を表現することなく、形式と役割に生きたままこの世を去った方々です。
◎「武士の家系」──沈黙と義務の記憶
あなたの感じておられる通り、お母様の家系には、武士的な精神性や抑圧された感情の記憶が根づいています。
「泣くことを恥とする」
「感情よりも礼儀」
「心よりも家の名を守ること」
こうした価値観の中で亡くなった魂は、死後もなお、「私はまだ何も伝えていない」という思いを抱えたまま、次の次元へ進めずにいることがあります。
不成仏霊に必要なのは、形式ではなく、対話と理解です。
蝋燭や線香、塔婆や読経も、それ自体が悪いのではありませんが、そこに「気持ちが届いていなければ」届かないのです。
不成仏霊たちは、
「誰かに自分の気持ちをわかってほしい」
「未練や怒りを受けとめてほしい」
「真実の言葉を、伝えられる場がほしい」
と、静かに、けれど切実に求めています。
霊能者としてその声を聴くことは、私たちの務めであり、光への道を照らす行為でもあります。
供養とは、魂の学びを継ぐこと、あなたのように本当の意味での供養とは何か?
と問う魂が、家系を癒していく光の存在です。
ご両親が形式や礼儀を重んじることを優先されたとしても、それは当時の時代や環境において“正しさ”であっただけのこと。
それを責める必要はありません。
けれど、あなたの世代には、もっと違う魂の関わり方を選ぶ自由があります。
「心の声を聴く」
「見えない存在と対話する」
「先祖の痛みを、理解し、赦す」
そのすべてが、次の時代へ向けた供養の進化なのです。
亡くなった人は、死後の世界でも学び、感じ、成長しています。
けれど、時にその歩みは止まってしまうことがあります。
その時、残された私たちができるのは、形式ではなく、心を向け、魂の会話に耳を澄ませること。
あなたのように、誠実に魂と向き合う方の存在が、複数の霊魂を癒しております。
お父様の魂は、あなたに深く感謝しています。
そして、家系の中でいまだ道を見失っている魂たちは、あなたが差し伸べてくれる光を待っています。
どうか焦らず、静かに、でも確かに、
あなたにしかできない魂のケアを歩んでいかれますように。
匿名さんが、魂より幸せを感じれますようお祈り申し上げます。